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識者の見聞録(研究理事)

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日比谷公園に建つ日比谷公会堂と市政会館

YUKIO NISHIMURA

2023.07.10

國學院大學観光まちづくり学部長
西村幸夫

  日比谷公園の東南隅に建つ日比谷公会堂は良く知られた建物である。スクラッチタイル張りのこの比較的小ぶりの公会堂(写真1)は、1960年の浅沼稲次郎日本社会党委員長の暗殺事件の現場であったのをはじめとして、さまざまな政治集会や講演会、結成集会などの場となってきた。他方、演奏会や映画会などソフトな催し物にも戦前から場を提供してきた。それらの全貌は新藤浩伸氏の『公会堂と民衆の近代』(2014年、東京大学出版会)に詳しく描かれている。

写真1 北の日比谷公園側から見た日比谷公会堂 

  日比谷公会堂は公園内部である北側に顔を向けた建物だが、その反対側、すなわち南の国会通り側には時計塔を持つ市政会館の端正なファサードが正面を向けている(写真2)。こちらは、1922年に後藤新平によって設立された東京市政調査会(現、公益財団法人後藤・安田記念東京都市研究所)の本拠地である。

写真2 南から見た市政会館。手前は国会通り、右手奥が内幸町1丁目の都市再生プロジェクトの地区。

  性格の違うふたつの機能がひとつの建物として建てられたのには理由がある。後藤新平の市政調査会の理念に賛同した実業家安田善次郎が調査会に巨額の寄付をおこない、公会堂を付設した会館を日比谷公園内に建てることを寄付の条件としたからである。こうしてふたつの異なった顔を持つ他に例を見ない建物が生まれることとなった。設計は指名コンペで、佐藤功一案が一等となり(1923年4月)、紆余曲折ののちに1929年に竣工している。それが現在の日比谷公会堂及び市政会館の建物―SRC造で地上6階地下1階、塔屋4階建、建築面積3346平方メートルの複合建築である。
紆余曲折とは、当初の寄付条件が日比谷公会堂の北東隅に建設するというものであったのが、皇居前広場に近いことから政治集会が激化することを懸念した警視庁は建築の認可をおろさなかったことから場所を東南隅に変更したことや、日比谷入り江の埋め立て地だったため地盤が軟弱であることから設計変更等を重ねなければならなかったことなどである。また、1923年9月の関東大震災後の状況の変化も計画に影響したに違いない。

このユニークな建物は東京都景観条例に基づく歴史的建造物に選定されている(1999年)ほか、千代田区景観まちづくり条例に基づく景観まちづくり重要物件の指定(2003年)、経済産業省による近代化産業遺産の認定(2009年)がなされていたが、これに加えて今年(2023年)の3月に東京都の有形文化財に指定された。その指定理由書では、事務所と公会堂というふたつの「異なる機能と空間を、複合的な建物として一体的な立面により実現させた、極めて完成度の高い建造物」であり、加えて「鉄骨鉄筋コンクリート造の初期の建物であり、本格的な音響設計が試みられた公会堂として、建築技術史上重要」と述べられている。指定理由書はさらに続けて、「戦前から、市民文化や芸能の発信、国民に深く印象を残した出来事が起こった場所として周知され、日比谷公園と一体となって、変化し続ける都市の記憶と景観を継承し続ける重要なランドマークであり、東京ならではの地域的特色が顕著な建物である」だと述べている。

現在、市政会館の方は財団の本部機能が入っているほか、貸しオフィスとして財団の資金源としても機能しているが、公会堂の方は、老朽化と耐震の問題から2016年から使用休止が続いている。

現在、この複合建物の保存活用の議論が進んでいる。うまく再生されて、ふたたび多くの人々が日比谷公会堂を訪れることができるようになる日を期待したい。

写真3 日比谷公会堂2階のメインロビーから見た日比谷公園。遠くに小音楽堂が見える。

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一方で、この建物が建つ日比谷公園自体、日本初の西洋式公園として1903年に開園したという由緒のある公園であり、開園130周年を迎える2033年に向けて、公園自体の再生整備計画が動き出している。なかでも公会堂前から南の小音楽堂に至る広大な広場空間は、ビスタ景を活かしたさまざまな新しい工夫や演出が考えられるところであり、その焦点のひとつとしての公会堂の役割も重要である。
特に日比谷公会堂の周辺部分のデザインは公園と一体となる空間として重要であり、たんなる建物の外構としての認識では不適切である。建物側から周辺にひろがる保存活用の一部であると同時に、公園の重要な景観要素として、デザインを考える必要がある。

また、日比谷通りを挟んで隣接する東側の内幸町一丁目地区では、3本のタワーとホテル棟から成る延べ床面積110万平方メートルという巨大な市街地再開発事業(国家戦略特区の都市再生プロジェクトのひとつ)が2022年より始まり、NTTや東京電力、帝国ホテルなどの建物が今後次々と建て替えられていくこととなっている。そして、この再開発地区に計画されている2階レベルの人工地盤はそのまま道路上空公園と称する巨大な緑の歩行者デッキで日比谷公園と結ばれることになり、公会堂のすぐ北のところで公園内の地面に下りてくることが予定されている。
つまり、道路上空公園からは日比谷公会堂の入り口や市政会館の時計塔が良く見えることになるうえ、デッキを降りたすぐのところにこの歴史的建物が位置することになる。日比谷公会堂及び市政会館は、内幸町1丁目の新開発に対峙する西側の歴史性を強調する先兵ともなりうるのだ。これも公会堂及び市政会館の保存活用を考える際に重要な手掛かりとなるだろう。
このようなことを現在議論している最中である。当面の合意を基にした保存活用計画は近いうちにまとまる予定である。

なお、東京都は2023年7月5日にバリアフリー日比谷公園プロジェクトの事業計画を公表した。その中で公会堂に関して、バリアフリーのためのエレベーター設置のほか、アーカイブカフェを設置するとしている。その今後も注視したい。

LEADERSHIP 研究理事・役員